先日、5月13日から16日まで小金井にある現代座という小劇場ーとても素敵な空間でした。ここの詳しい話はまた後日ーにて、緊急事態宣言の中ではありましたが、役者もスタッフも厳重に注意を払いながら、夏目漱石の「こころ」を芝居として上演、無事に終演しました。
演劇仲間ことのみ、という劇団は演目ごとに集まる形式をとっているようです。
そして、その今回のプロジェクトに音響として参加しました。
漱石の「こころ」は一度は目を通していたと思うのですが、恥ずかしながらほとんど記憶に残っていませんでした。
そんな中で、映画を見てみたり(市川崑はやはり素晴らしい)して、少しづつ「こころ」の世界に入り込んでいきました。
演出家から曲のテーマを「今回は『牧神の午後』なんですよ!時代も同じころだし。」
ということで、ドビュッシーの「牧神の午後の前奏曲」を聴き、いろいろ調べてみると、この曲がつくられたのは1894年。この曲に基づいてつくられたバレエの初演が1912年。
「こころ」の連載が始まったのは1914年。
少し年代がずれるが、おおかた外れていないので、少ししっくりしないがこの曲に取り組んでみることにしました。
ところが、この「牧神の午後の前奏曲」はフランスの詩人マラルメの詩「牧神の午後」に感銘を受けて書かれているが、そのあとにドビュッシーは「牧神」をテーマに
歌曲集『ビリティスの3つの歌』(1898年)
無伴奏フルートのための『シランクス』(1913年)
ピアノ連弾曲『6つの古代碑銘』(1914年)
という3つの曲集をつくっています。
ここで目に入ったのが
1914年発表の「6つの古代碑銘」でした。「こころ」と同じ年。。
そして、その中の曲に「名もなき墓のために」という曲を見つけました。
Kが墓地を歩きながら「この場所が気に入った」という言葉が頭によぎりました。
偶然にも、この曲の音楽的なモチーフは牧神の午後の前奏曲のそれと同じで、探し求めていた「牧神の午後」のピアノによる低音部分の演奏がそのまま収められていました。
(ここで初めて自分が何でしっくりしていなかったのかを理解しました)
この偶然を必然として、今回の「こころ」の主要な部分で使わせていただくことにいたしました。
すべてがそろって舞台が仕上がる中で、これまで思いもしなかった、「こころ」のテーマを感じた気がしました。
それは、「死」を通して「生」が新たに生まれる。
とでも言いましょうか。
こころの闇の中を歩いている親しい人が、自らの死を選び、あたかもそれは連鎖していくかのような錯覚に陥ってしまう私たちが、じつはそこから本当の「いのち」を生き始めることができるのではないか。ということを、おぼろげに感じることのできた舞台だったように思いました。
それが気のせいだったのか、どうなのか。
牧神のまどろみの中に細く消えていく前に、ここに記しておきます。
演者、演出家、スタッフの仲間たちに改めて感謝。
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